2026年10月20日更新
なぜ人は、「画面の中の推し」をわざわざモノにしたくなる? ~デジタル時代に考える、「触れられる」という価値~
好きなアイドルやキャラクターなら、スマホを開けばいつでも見られる。写真も動画も保存できるし、SNSを開けば新しい情報にも出会えます。それなのに私たちは、ぬいぐるみやアクリルスタンド、フィギュアなど、「触れられるモノ」も欲しくなります。しかも、それを部屋に飾ったり、ときには一緒に出かけたりする。デジタルで十分楽しめるはずなのに、なぜ人は「画面の中の推し」を、わざわざ現実の世界へ連れ出したくなるのでしょうか。今回は、そんな素朴な疑問から、「モノであること」の価値について考えてみます。
スマホでいつでも会える。それでも「モノ」が欲しい
好きな人やキャラクターを楽しむ方法は、ずいぶん変わりました。昔なら、雑誌を買ったり、テレビ番組を録画したり、CDを集めたり。今ではスマートフォン一つあれば、写真も動画も音楽も楽しめます。
考えてみれば、とても便利です。場所も取らない。持ち運ぶ必要もない。検索すればすぐに見つかる。それなら、デジタルだけで十分な気もします。
ところが、現実はそう単純ではありません。
- ぬいぐるみを部屋に飾る
- アクリルスタンドを机に置く
- 缶バッジをバッグにつける
- フィギュアを集める
- お気に入りのグッズを旅行やカフェへ連れていく
「見る」だけなら画面の中でできるのに、私たちはわざわざお金を払い、場所を使ってまで、モノを手元に置こうとします。
「見ること」と「持つこと」は、何が違うのでしょうか。
ここに、デジタル化が進んでもモノがなくならない理由の一つがありそうです。
「触れる」と、自分のものになる?
この疑問を考えるヒントの一つが、「心理的所有感」です。法律上の所有とは別に、「これは自分のものだ」と感じる心理を指します。
モノに触れることと心理的所有感の関係については、興味深い研究があります。消費者行動を研究するJoann Peck氏とSuzanne B. Shu氏は、商品に触れるだけでも、その商品に対する心理的所有感が高まることを実験で示しています。
つまり、写真で見る商品と、実際に手に取った商品では、私たちの中に生まれる「自分のもの」という感覚が違う可能性があります。
触れることは、単に情報を得る行為ではなく、そのモノとの関係をつくる行為でもあるのかもしれません。
そう考えると、「推し」のぬいぐるみを手元に置くことも、少し違って見えてきます。
画面の中では、誰もが同じ写真や動画を見ることができます。でも、自分の机に置いてあるぬいぐるみは「自分の推し」。同じ商品を何万人が持っていたとしても、そこには少しずつ個人的な関係が生まれていきます。
ぬいぐるみは、「一緒にいた時間」を持っている
さらに面白いのが、モノと記憶の関係です。
お気に入りのぬいぐるみを旅行に連れていく。ライブ会場でアクリルスタンドと写真を撮る。カフェで料理の横に置いて撮影する。いわゆる「ぬい撮り」や「推し活」では、グッズをただ所有するだけではなく、一緒に体験することがあります。
すると、そのモノには少しずつ記憶が重なっていきます。
- このぬいぐるみと初めてライブに行った
- このアクスタを持って友人と旅行した
- このグッズを買うために朝から並んだ
モノと記憶の関係を扱った研究レビューでも、私たちが所有物に愛着を持つ背景には、モノが個人的な記憶を保存したり、思い出させたりする役割があることが指摘されています。
買った瞬間は同じ商品でも、一緒に過ごした時間まで同じにはなりません。
画面の中の画像は、いつでも同じ状態で表示できます。一方、手元のモノには「自分がそれとどう過ごしたか」が積み重なっていく。そこに、物理的なモノならではの価値が生まれているのかもしれません。
モノは、「好き」を外の世界へ連れ出してくれる
もう一つ考えてみたいのが、モノが自分と外の世界をつなぐ役割です。
スマートフォンの中で写真を見るだけなら、「好き」という感情は自分の中で完結します。でも、アクスタを机に置いたり、キーホルダーをバッグにつけたりすれば、その「好き」は現実の空間に現れます。
それを見た人から、「それ好きなんですか?」と話しかけられることもあるでしょう。同じグッズを持っている人を見つけて、親近感を覚えることもあります。
つまりグッズは、推しそのものの代わりであるだけではなく、自分の「好き」を目に見える形にするものでもあります。
見る。持つ。飾る。身につける。一緒に出かける。
同じ「好き」でも、モノになることでできることが増えていきます。
そして、こうした「モノを持つ楽しさ」は、推し活だけの話でもなさそうです。
最近では、「ボンボンドロップシール」をはじめとした立体感のあるシールが人気を集め、シール帳をつくったり、集めたシールを交換したりする楽しみも、あらためて注目されています。デジタルで画像をいくらでも保存できる時代に、わざわざシールを選び、集め、貼り、見せ合う。これもまた、「モノだからできる体験」の一つなのかもしれません。
実は朝日コネクト大阪でも、以前、お客さまのキャラクターを使ったオリジナルのぷくぷくシールを制作したことがあります。納品後には大変好評だったとお聞きしました。キャラクターを画面や紙面で「見る」だけでなく、手に取れるモノにすることで、キャラクターとの接点も少し変わるのかもしれません。
伝えたいものを「情報」として届けるのか、それとも「持っていたくなるモノ」にするのか。そんな視点から考えてみるのも面白そうです。
デジタルの時代だから、モノはいらなくなる?
ここまで考えると、一つ疑問が出てきます。
デジタルがさらに便利になれば、物理的なモノの価値は小さくなっていくのでしょうか。
必ずしも、そうとは限らないようです。
実際、研究では画面上の商品であっても、「誰かの手がその商品に触れている様子」を見ることで、心理的所有感や商品評価に影響が生じることが報告されています。研究者はこれを「vicarious haptic effect(代理的な触覚効果)」と呼んでいます。
デジタルの世界でも、私たちは「触れる感覚」をどこかで求めているのかもしれません。
一方で、実物には画面とは異なる特徴もあります。2023年に報告された実験では、実際の立体物を見た場合の方が、その画像を見た場合より記憶成績が高かったという結果も示されています。もちろん、これだけで「リアルの方がすべて優れている」とは言えませんが、実物と画像を私たちがまったく同じように受け取っているわけではなさそうです。
デジタルとリアルは、どちらが優れているかではなく、そもそも少し違う体験なのかもしれません。
そう考えると、「紙」もちょっと面白くなる
推し活からずいぶん遠くまで来ましたが、この話を考えていると、広告やメディアにも少し似たところが見えてきます。
たとえば新聞です。
ニュースを知るだけなら、スマートフォンの方が速くて便利です。それでも、大きなスポーツ大会の優勝や歴史的な出来事があった日に、新聞を買って残しておきたいと思う人がいます。
紙のチケット、ライブのパンフレット、映画の半券、旅先でもらったショップカード。情報として考えれば、スマートフォンに保存しておけば済むものも少なくありません。
それでも手元に残しておきたくなるのは、それらが単なる「情報」ではなく、そのときの体験や記憶と結びついた「モノ」になるからなのかもしれません。
情報として届くことと、手元に残ることは、同じなのでしょうか。
Web広告、SNS、動画、メール。顧客との接点がデジタルへ移っているからこそ、店舗、商品パッケージ、DM、冊子、イベントなど、物理的な接点が果たす役割をあらためて考えてみるのも面白そうです。
もちろん、「だから紙がいい」という話ではありません。デジタルには、速さ、検索性、共有のしやすさなど、デジタルだからこその価値があります。
大切なのは、「何を伝えるか」だけではなく、「どんな形で人の生活の中に存在するか」なのかもしれません。
「触れなくていい世界」で、触れられるものを考える
写真も、音楽も、本も、チケットも、ニュースも。かつてモノとして持っていたものの多くが、スマートフォンの中に入るようになりました。
それは、とても便利な変化です。
でも、その一方で私たちは、ぬいぐるみを買い、アクスタを飾り、好きなものをバッグにつけ、ときには一緒に旅へ出ます。
そこには、「情報を手に入れる」だけでは説明できない何かがあります。
触れること。そこにあること。自分のものになること。一緒に時間を過ごすこと。そして、そのモノを見ることで、ある日の記憶を思い出すこと。
便利になるほど、私たちの生活は「触れなくてもいい世界」へ向かっています。
それでも人が、わざわざ触れられるものを欲しがるのだとしたら。「モノであること」には、まだ何か役割が残っているのかもしれません。
あなたの身の回りにも、「デジタルで十分なはずなのに、なぜか手元に残しているもの」はありませんか。