2026年10月01日更新
マズイ/幅3ミリ/街をプラモデル ~受賞広告から考える、アイデアのつくり方~
商品の広告で「マズイ」と言う。新聞広告を幅3ミリにする。街そのものをプラモデルにする。どれも、普通に考えれば少し変わっています。でも、実際に高く評価された広告です。今回は、そんな受賞広告をいくつか見ながら、「なぜ、そんなことを思いついたんだろう?」というところから、広告のアイデアを一緒にのぞいてみます。
広告にも、「賞」がある。
テレビを見ていて流れてくるCM。駅で見かけるポスター。新聞広告。ラジオから聞こえてくるCM。スマートフォンに表示される広告。
私たちは毎日、かなりの数の広告に触れています。
でも、その一つひとつについて「なぜ、この言葉なんだろう?」「なぜ、この場所に出したんだろう?」と考えることは、あまりないかもしれません。
広告の世界には、そうした表現やアイデアを評価する「広告賞」があります。広告電通賞やACC TOKYO CREATIVITY AWARDS、新聞広告賞、朝日広告賞、JAA広告賞など、対象となる媒体や審査の視点もさまざまです。実は新聞折込にも「新聞折込広告大賞」があります。
そして受賞作品を見ていくと、広告の面白さは「きれいなデザイン」や「面白いCM」だけではないことが見えてきます。
広告をつくる人は、いったい「どこ」まで考えているのでしょうか。
ここからは、実際に評価された広告をいくつか見てみましょう。
映像がなくても、頭の中には景色が見える
まずはラジオ・オーディオ広告です。
映像はありません。使えるのは、声や音、音楽、そして「間」。それだけで商品を伝えなければなりません。
ところが、実際に優れた作品を聴いてみると、不思議なことが起こります。
映像がないはずなのに、頭の中には勝手に映像が生まれてくるのです。
KINCHO「ムエンダー 思春期スケッチ」
大日本除虫菊(KINCHO)の「思春期スケッチ」は、2025年のACC TOKYO CREATIVITY AWARDSで、ラジオ&オーディオ広告部門の総務大臣賞/ACCグランプリを受賞したシリーズです。
登場するのは、反抗期の息子と母親。「お釣り」「キスマーク」「舌打ち」「壁の穴」という4つの作品で、なんとも言えない思春期の親子のやりとりが描かれています。
たとえば「舌打ち」篇では、食卓を飛ぶコバエと、息子の舌打ちをきっかけに会話が進んでいきます。母親には、その舌打ちがコバエに向けたものなのか、自分に向けたものなのか分からない。
でも、やりとりを聴いているだけで、食卓の様子や親子の距離感、息子の表情までなんとなく浮かんできます。
映像がないからこそ、聴く人が自分の記憶や経験を重ねながら、頭の中でその場面をつくっていく。
商品を説明するだけではなく、親子の日常そのものを描くことで、その中に商品を登場させる。ラジオだからこそできる広告の面白さが見えてきます。
カロリーメイト「子どもと大人の時間」篇
もう一つ、音だけだからこそ面白い広告があります。
大塚製薬・カロリーメイトの「子どもと大人の時間」篇。第77回広告電通賞のオーディオ広告最高賞を受賞しています。
同じ時間を生きていても、子どもと大人では、その長さや重さの感じ方が違う。そんな「時間」をテーマにした作品です。
ラジオ広告というと、商品名を何度も読み上げたり、最後にキャッチコピーを言ったりするものを想像しがちです。
でも、声の速度、間、音の置き方によって、目には見えない「時間」まで表現できる。
映像がないことは、弱点ではありません。むしろ、見えないからこそ、聴いた人の頭の中に続きをつくってもらえる。そう考えると、ラジオ広告の見え方も少し変わってきます。
「どこに出すか」まで、広告になる
アース製薬「史上最狭スキマ広告」
次は新聞広告です。
アース製薬が「おすだけアースレッド無煙プッシュ」の広告を出しました。
ただし、その幅はわずか3ミリ。
普通なら、広告は大きい方が目立ちそうです。それなのに、わざわざ小さくする。
理由はシンプルです。
ゴキブリは、わずかな隙間にも潜んでいるから。
2021年に新聞紙面の余白へ掲載された「アース製薬史上最狭スキマ広告」は、新聞広告賞を受賞し、第75回広告電通賞でもプリント広告最高賞を受賞しました。
面白いのは、広告の中に何を描くかだけではありません。
「広告枠そのもの」を、商品のメッセージにしてしまったことです。
大きく目立たせるのではなく、見逃しそうなほど細くする。広告では弱点にも思える「狭さ」が、この商品ではアイデアになる。
広告を考えるとき、私たちはつい「何を書くか」「どんな写真を使うか」を考えます。でも、「どんな大きさにするか」「どこに置くか」まで含めて考えると、まだ別の表現があるのかもしれません。
ロート製薬「目の愛護ショー」
では、広告を見るという行為そのものを利用したらどうでしょう。
ロート製薬が2023年10月10日の「目の愛護デー」に大阪で実施した「目の愛護ショー」では、300機を超えるドローンが大阪の夜空に、巨大な「目」など、さまざまな表現を描きました。その後、東京でも約500機によるショーが実施されています。
なぜ、夜空だったのでしょうか。
ロート製薬が示した入口は、「疲れた目を休めるには、遠くを見ること」。
それなら、遠くを見てもらえる場所に広告をつくってしまおう。
そう考えると、夜空に浮かぶ巨大な広告は、単に派手なドローンショーではなくなります。
広告を「見る」という行動と、広告が伝えたいことが同じ方向を向いている。
もちろん、これだけ大掛かりな広告は誰にでもできるものではありません。ただ、その規模ではなく「伝えたいことから、広告の形そのものを考える」という発想には、少し立ち止まってみる面白さがあります。
商品を説明するだけが、商品広告ではない
瀬戸しお「マズイ」篇
商品の広告で、できれば言いたくない言葉があります。
たとえば、「マズイ」。
栗山米菓の「瀬戸しお」のCMでは、おいしそうな商品の映像に重ねて、検索窓へ「瀬戸しお マズイ」と入力します。
ところが、表示されるのは「『瀬戸しお マズイ』の検索結果はありません」という画面。
自分たちで「おいしい」と言うのではなく、あえて「マズイ」と検索してみせることで、その逆を伝える。第78回広告電通賞でフィルム広告金賞を受賞した「マズイ」篇です。
商品の良さを伝えるために、あえて商品の悪い評判を探しにいく。
普通なら避けそうな言葉だからこそ、「え、マズイの?」と一瞬気になる。そして、その疑問自体が広告を最後まで見る理由になります。
広告では「何を言うか」だけでなく、「どうすれば、その先を確かめたくなるか」までアイデアにできるのかもしれません。
小学館「例解学習国語辞典 2024 TVCM」
もう一つ、商品の特徴そのものを、CMのアイデアにした作品があります。
小学館「例解学習国語辞典」の2024年TVCMです。第78回広告電通賞でフィルム広告金賞を受賞し、放送批評懇談会の第62回ギャラクシー賞でもCM部門の選奨に選ばれています。
国語辞典は「ことばを調べる」商品です。
だからこそ、このCMは「ことば」そのものを遊びの材料にしています。
辞書の商品広告だからといって、「約4万8800語収録」「オールカラー」「引きやすい」といった機能だけを並べる必要はない。
商品が持っている本質を一つ見つけて、そこから表現を広げていく。
そう考えると、「何を言えば売れるか?」より先に、「そもそも、この商品って何が面白いんだろう?」と考えることも、広告づくりの入口になりそうです。
広告は、「仕組み」にまで広がっていく
ここまで、音、広告枠、夜空、映像と見てきました。
でも、広告は「一枚の広告」の中だけで考える必要もないようです。
特茶「The Sync Ad」
サントリー「伊右衛門 特茶」の「The Sync Ad」は、電車の車窓と駅のホーム、離れた2つの場所に広告を設置した取り組みです。
ホームにある広告だけを見ると、「これは電車の中から見た時にだけわかる広告です。」という、少し謎めいたメッセージ。
ところが電車の中から見ると、車窓側とホーム側、2つの広告が重なり、一つの広告として見えてきます。
一枚の広告を工夫するのではなく、「2つの広告が重なる瞬間」そのものをアイデアにした。
しかも、この作品で表現しているのは、特茶が持つ「データの正確さ」という価値です。広告のメッセージだけでなく、2つの広告が正確に重なる仕組みそのものでも、「正確さ」を伝えています。
広告というと、つい「何を書くか」「どんな写真を使うか」に目が向きます。でも、どこから見るのか、いつ見えるのか、別の広告とどう重なるのか。そこまで広告の材料にできるようです。
そう考えると、「広告の中身」と「広告の仕組み」の境界も、だんだん曖昧になってきます。
ついには、街そのものが広告になる
静岡市「静岡市プラモデル化計画」
最後は、そもそも「広告」と呼んでいいのか迷うような事例です。
静岡市は、プラモデル製造品出荷額で全国8割以上のシェアを占める、プラモデル産業の街です。
その地域資源を生かして始まったのが、「静岡市プラモデル化計画」。街にある郵便ポストや公衆電話などを、組み立てる前のプラモデルのパーツのように見せる「プラモニュメント」が設置されています。
2026年3月時点で、市内には17基のプラモニュメントが設置されています。
この取り組みは第76回広告電通賞で、OOH広告、ブランドエクスペリエンス、エリアアクティビティ、イノベーティブ・アプローチの各部門で最高賞を獲得し、自治体として初めて総合賞を受賞しました。
ポスターで「静岡はプラモデルの街です」と伝えることもできます。
でも、実際の街を歩いていて、郵便ポストそのものがプラモデルになっていたらどうでしょう。
説明を読む前に、「なんだこれ?」と思う。
写真を撮るかもしれない。誰かに話すかもしれない。そして、静岡とプラモデルの関係を知る。
ここまで来ると、広告を見る場所と、広告されている街そのものの境界がなくなっていきます。
広告は、「広告らしい顔」をしていなくてもいいのでしょうか。
広告賞を眺めていると、そんな問いまで出てきます。
広告賞は、「正解」を決めるものではなく、広告を見るメガネなのかもしれない
今回見てきた広告は、かなりバラバラです。
音だけの広告もあれば、幅3ミリの広告もある。夜空を使うものもあれば、商品の弱点のような言葉から始まるCMもある。広告の見え方や仕組みを工夫するものもあれば、街そのものを変えてしまう取り組みもありました。
共通する「広告のつくり方」があるわけではなさそうです。
むしろ面白いのは、それぞれが違うところから考え始めていることです。
- 映像がないなら、音で何ができるだろう。
- ゴキブリが隙間にいるなら、広告も隙間に出せないだろうか。
- 目を休めるために遠くを見るなら、遠くに広告を出したらどうだろう。
- 商品を自分たちで褒めず、見た人に検索してもらったらどうだろう。
- 「正確さ」を伝えたいなら、2つの広告がピタッと重なるという「正確さ」を体験してもらうのはどうだろう。
- プラモデルの街なら、街そのものをプラモデルにしたらどうだろう。
こうして並べてみると、広告賞を見る面白さは「どの広告が一番優れているか」を知ることだけではないように思えてきます。
普段なら通り過ぎてしまう広告を、「なぜ、こうしたんだろう?」という目でもう一度見てみる。
次にテレビCMを見たとき。駅で広告を見かけたとき。ラジオCMが流れてきたとき。
なぜ、この人なんだろう。なぜ、この言葉なんだろう。なぜ、ここで無音になったんだろう。なぜ、こんな場所に広告を出したんだろう。
そこには、たまたまではなく、誰かが考えた理由が隠れているのかもしれません。
そう思って広告を見ると、いつもの景色もちょっとだけ違って見えそうです。